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二人のモルモン教宣教師との会話
Dr. Dean Helland
2006年3月11日土曜日、午前11時頃。私の家のドアを誰かがノックする音を聞き、ドアを開けた。すると、二人のモルモン教宣教師が、玄関口に立っていた。この二人の若者と分かち合いのひとときを持てることを私は非常に喜び、ドアを大きく開け、彼らを私の家の居間に通し、ソファーに腰掛けさせ、彼らが言わんとしていることに耳を傾けようとした。
ホワイト長老とスミス長老は、会話を始める前にお祈りを持とうと提案し、私はそれに喜んで賛成した。
ホワイト長老が、モルモン教徒特有の腕を組む祈りの姿勢に入る一方、スミス長老はまったくそれをするそぶりを見せず、私を驚かせた。ホワイト長老は、短く、かつ適切な祈りを導き、彼らは今イエスキリストの福音を私に伝えるためにそこにいるのだということ、そして天の父が私たちをどれほどまでに愛し、私たち家族がどれほど尊いものかを祈った。次に、ホワイト長老は私の人生に何か宗教との接点があるかと聞いた。私は、自分が生まれ変わったクリスチャンであるということ、オクラホマ州トゥルサにある、ペンテコステ・ホーリネス教派に属するエバンジェリスティック・テンプルという教会のメンバーであることを話した。
彼は、天の父が私たちを愛していること、そしてひとり子イエスキリストをこの世に送られ、私たちの罪のために死なれ、地上に残された私たちを導くために聖霊が送られたことなど、私たちの間に共通する信念があることに同意した。しかし、私はそのとき、モルモン教が説く「天の父」というフレーズに対する性的な含意には同意できないことを明確にした。
「それなら、神はどうやって被造物を創造したというのですか?」と彼は尋ねた。
「神のみことばの持つ力によってですよ。」と私は答えた[1]。
彼は驚いたような様子を見せたが、私は続けた。イスラム教徒たちは、クリスチャンが、神とイエスの母にあたるマリアとの性的関係を信じることに対して非難する。もちろん、それはまったくナンセンスなことだ。しかし、巷の噂によると、ジョセフ・スミスがモルモン書を執筆する前まで、イスラム教の聖典・コーランに熱い共感を覚えていたということだ。そして、ジョセフ・スミスは独自の宗教、モルモン教を立ち上げる際に、様々なことをイスラム教から引用したと言われている[2]。
「天の父である神がマリアとセックスをしたということが言われているのをどこかで耳にしたことがあるのです。」スキャンダルを打ち明けるかのように、彼は言った。
「そう。」私は続けた。「ブリカム・ヤングはどうやらこう教えたんです。イエスに地上での肉の身体を与えるためにエロヒムは地上にくだってマリアと性的関係を持ったんですってね[3]。」
次に、若者は預言者の重要性へと話を進めた。過去の歴史の中でも、預言者を通して神は人間に語り、旧約聖書が多くの預言者であふれているように、アダム自身も実は預言者であったのだと彼は言った。そして、彼はアモス書3章7節を開いた。「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もされない。」そして、今日の教会や人々に語るために、神は彼の教会に、人々を導くための預言者たちを置いたのだと彼は言った。
私はこう答えた。「神様が教会に預言者たちを立てたということは、私も賛同しますよ。使徒の働きの中にも、教会には預言者たちがいましたしね[4]。しかし、その預言者たちが、教会のかしらではなかったことも明確に記されているでしょう。実際に、第一コリント人への手紙12章28節には、『そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者・・・』というように書かれていますよね。」
「ええ、」ホワイト長老は答えた。「ついこの間その箇所を読んだのですがね、神様がペテロに教会での特別な地位を授けたということにはご納得されませんか。マタイの福音書16章18節で、イエス様はペテロにこうおっしゃったのです。『ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。』また、19節ではペテロにこうもおっしゃいました。『わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。』」
「その通りです!」と私は言った。「ペンテコステの日に、ペテロはユダヤ人たちに向けて初めて説教をしたのです。そして、コーネリアスの家で、彼は異邦人たちに向けて初めて説教をしました。確実に、ペテロは御国へ行くための鍵を知っていたのでしょう。しかしながら、本当の意味を理解するためには、この箇所の書かれている全体を読む必要がありますよ。これらの箇所からあなた方が理解していることは、ローマ・カトリック教会が『ペテロが最初の法王である』という説を語るときに話すことと非常に近い。」
この箇所の全体像を見ると、イエス様がこのような質問をしていたことに気づく。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」いくつかの思索的回答が並べられた後、イエス様はこう質問された。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」そして、こう続く。
16.シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』 17.するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。 18.ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』」
私は続けた。「イエスキリストご自身が教会の礎、かしらなのです。そして、使徒たちの教えや信条は教会の基盤として仕えているのであって、また新約聖書にもそのようにおさめられています。イエス様が彼に名づけた名前『Petros』とは、ギリシャ語でpetraを描写する『岩の一塊』という意味があり、教会が建てられる基礎になる『壮大な岩』なのです。この壮大な岩とは、イエスキリストが真の神の御子であり、世界に救いをもたらすために神様により送られたということを示す、神様からの黙示なのですよ!それは性を伴わない、極めて『関係』を暗示するものです!まさにペテロが持ていった信仰と同様で、神様から黙示されるキリストの存在こそが、私たち人間を天の御国へと導くのです。」
ホワイト長老は言った。「ええ、人は必ず神様からの黙示を受ける必要があります。それでは、あなたは使徒の存在については認められているのですね。」
「はい、教会の基礎を置いたのは、使徒たちであると思っていますよ。」と私は答えた。「新約聖書の中のいくつかは、使徒たちによって書かれています。他の箇所は、当時、使徒たちによって認めら、支持された働きや教えをしていた人々によって書かれたものであり、それゆえ今日私たちは新約聖書を神のみことばとして受け入れているのです。私は、今の時代にも使徒的働きが成されていることを信じていますが、それが最初の12人の使徒たちと同じレベルであるとは思っていないんです。12使徒たちの行った働きはとてもユニークなものでしたがね。彼らは、キリストの地上での働きを実際に目撃した証人たちでしたから。」
私は続けた。「使徒の働きによると、12使徒から外されたイスカリオテ・ユダの代わりになる者は、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、よみがえられた後に天にのぼられたそのときまでのイエスキリストの地上での働きを目撃した証人である必要があると、残りの使徒たちは考えました(使徒1:21-22)。使徒パウロさえも、その条件を満たすことはできなかったんです!また、黙示録21章14節によると、これら12使徒の名前は、新しいエルサレムの12の基礎に記されるということです!」
私はさらに続けた。「ですから、イエス様と共にいた12使徒たちは、彼らの使命を終えたのだということがわかりますよね。教会の基礎を置き、真に啓示された道しるべ、すなわち新約聖書を私たちに残していったのです。」
ホワイト長老は私に続けて言った。「そうですね、子羊の使徒たちはとても特別な存在でした。しかし、使徒たちが人々から拒絶される日が来てしまったんですよ。イエス様は彼らにこう言いました。『事実、あなたがたを殺すものがみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。』(ヨハネ16:2)そして後、使徒たちが拒絶され、殺され、また教会が地球上から消えていく時代が来ました。やがて、世界は暗黒時代と言われているときへと突入したのです。そして、1820年に世界はジョセフ・スミスの手によって開放されたのです。」
「ちょっと待ってくださいよ、」私は反論しようとした。「イエス様は『わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』とおっしゃったのですよね。それでは、使徒たちの死後、ジョセフ・スミスの出現まで、人々は神様と正しい関係を持つことはできなかったと言いたいのですか?そしたら、彼の出現までの長い長い年月の間、教会は地獄の門に打ち勝ってはいなかったというのですか?それは、イエス様が聖書の中でおっしゃったこととはまるで違うじゃないですか!あなた方は、Fox’s Book of Martyrsをお読みになるべきだ。」
「まぁ、それはさておき、」ホワイト長老はおもむろに言った。「ここからは私の連れの者に続けさせましょう。」
このとき、スミス長老はジョセフ・スミスによって書かれた話を引用した。彼が林の中で祈っていた最中に授けられた光と、そのときに現れた瓜二つに見える二人の人物についての話だ。そのうちの一人は片方の人を指して、それが自分の息子であると言った。ジョセフ・スミスは、御父と御子を見たのだ。
「でも、そんなことは不可能だ!」私は叫んだ。「聖書は、天なる父は霊として存在して、目に見える存在ではなく、また誰もその姿を見たことはないと、はっきり教えているじゃありませんか[5]!」
「でも、モーセは神様を見ましたよ!」と、彼は言った。
「モーセは、通り過ぎる神様の後ろ姿の一部を見ることを許されたから、見ることができただけではないですか!」と、私は指摘した[6]。「もしも、神様は、そのほんの一部しかモーセに見せられなかったというのなら、全身をジョセフ・スミスに現すなんてことはしなかったでしょう!第一、旧約聖書の中に現れた神の姿というものは、地上に現れる前の状態にあったイエスキリストであったと私は思うんですよ。新約聖書が明確に記し教えるように、天の父の存在が目に見えるものではなく、またどのような人間にも見えたことがないというのなら、それしか考えられないでしょう。」
スミス長老はまるで抜け殻のように無表情になったが、そのままジョセフ・スミスこそが神様から送られた真の預言者であり、モルモン書は神の御力により訳されたものであるという証について話し始めた。
「モルモン教会内において四千回も編集されなければならなかったこのモルモン書が、なぜ神の御力によって訳されたと言えるのですか?」と私は尋ねた[7]。
「それは、ただの文法的な間違いを正しただけで、教理の書き換えではありません。」と彼らは声をそろえた。
「いいえ、それには教理の書き換えでもあったじゃないですか!」私は断言した。「1981年、モルモン教会は、ニーファイ第二書30章6節に書かれている、レーマン人の肌から呪いが解かれたときの『白い』という表現を『清い』へと変えたではないですか。そのときまで、モルモン教会の公な教理では、モルモン書を信じたアメリカンインディアンたちは呪いから解かれて、肌の色が白く変わるということでしたね。それは、インディアンたちがキリストにある信仰へと改宗するときに起こるとモルモン書には書かれていますが[8]、そこにそう約束されているにもかかわらず、モルモン書が発行されてからの1830年から1981年までの間、それはまったく起こらなかったんです。やがて1960年、モルモン教預言者、スペンサー・W・キンベルはLDS会議において、自身がインディアン改宗者たちを訪問した際、会うたびにだんだんと肌の色が白くなってきているようだと報告しました[9]。しかし、最終的には、結局彼らはモルモン書に記載されている言葉、またインディアンの肌の色が白く変わるという教理をも変更しました。後には、教会のスポークスマン、ジェリー・P・カーヒルも、教理変更の確認のため、AP通信社からのレポートも受けていましたよね[10]。」
私は続けた。「すなわち、モルモン教会とは、実際には人種差別主義団体っていうことになりますよね。だって、その中心的教えは、いつか他の人種もその呪いから解かれて、白い肌になるって言うのだから(モルモン書ヤコブ3章8節参照)。」実際、モルモン教会の人種に関する本来の教えは、あまり公にはされていない。1978年にたった一度だけアフリカ黒人がモルモン教の司祭になることを許されたのだが、そのときも、呪いの解放からくる肌の色の変化についての教理は変えられることはなかった。そう、この考えについては今も昔もそのままであるのだ―アフリカ人種が呪いから解放される前に、アベルの子孫がまず、はじめに死からよみがえり、各々の報いを得るのだということに関しては[11]。
このとき、二人のモルモン教宣教師たちは、もうすでに動揺の色を隠せないようであった。
「実は、私も昔はモルモン書を信じる者だったんですよ。」と私は告白した。 「私の家族は、アリゾナ州に住むアメリカンインディアン(モルモン書によると、彼らはレーマン人と呼ばれる)に向けてモルモン書を説くため、当時生活していたミズーリ州に所有したものすべてを売り払って、引越ししたんです。そして、モルモン書によると、インディアンたちには、キリストにある信仰を通して、二つの偉大な約束が与えられているのだと彼らに教えました。まずひとつめは、彼らの肌にかけられている呪いが解かれ、やがて白く輝く者になるということ。ふたつめは、イエスキリストが定めのときに、彼らにすべての未信者をこの大陸から滅ぼす許しをくだし、インディアンが本来所有していた大陸を取り戻すことができるのだということ。」
「それは、どこに書かれているのですか?」一人の長老はそう尋ねた。
「モルモン書のニーファイ第三書16章と21章、少なくともこの二箇所にね。」
そして私は、二人のうちの一人の若者からモルモン書を借り、ニーファイ第三書16章を開き、イエスキリストがよみがえられた後に起こるアメリカ大陸所有の権利に関して語られたと言われているこれらのことばを読んだ。
10.また父は、あなたがたに次のことを言うように、わたしに命じられた。『異邦人がわたしの福音に背いて罪を犯し、わたしの完全な福音を受け入れず、あらゆる国民、全地のあらゆる民にも増して高慢な心で高ぶり、あらゆる偽りと欺き、悪事、あらゆる偽善と殺人、偽善売教、みだらな行い、秘密の忌まわしい行いにふけるその日、もし彼らがそのようなことをすべて行い、わたしの完全な福音を受け入れなければ、見よ、わたしは彼らの中からわたしの完全な福音を取り去ろう』と、父は言われる。 11.『そのとき、わたしはかつてわたしの民、イスラエルの家に立てたわたしの聖約を思い出し、彼らにわたしの福音を伝えよう。 12.そして、おお、イスラエルの家よ、異邦人にはあなたがたを支配する権力がないことを、わたしはあなたがたに示そう。イスラエルの家よ、わたしはあなたがたに立てたわたしの聖約を思い出そう。そしてあなたがたは、わたしの完全な福音を知るようになるであろう。 13.しかし、もし異邦人が悔い改めて、わたしに立ち返るならば、見よ、彼らはわたしの民、イスラエルの家に数えられる』と、父は言われる。 14.『また、わたしはイスラエルの家に属するわたしの民が彼らの中を通り過ぎて、彼らを踏みにじることを許さない』と、父は言われる。 15.『しかし、もし彼らがわたしに立ち返らず、わたしの声に聞き従おうとしなければ、わたしは彼らが、すなわちわたしの民イスラエルの家が彼らの中を通り過ぎて、彼らを踏みにじることを許そう。彼らは塩気を失った塩のようで、もう何の役にも立たず、捨てられて、わたしの民イスラエルの家に足の下に踏みつけられるだけである。』 16.まことに、まことに、あなたがたに言う。父はわたしに、この血を受け継ぎとしてこの民に与えるようにと命じられた。(自分のものであることを強調)
「それで、インディアンたちはどう反応しましたか?」と彼らは聞いた。
「そうだね。」私は答えた。「彼らの肌の色が変えられなければいけないという所には不快感を覚えているようだったよ。そして、彼らがやがて大陸を取り返すという所に差しかかったとき、ある一人のリーダーが彼の親指を下に向け、テーブルにつけてこう言った。『白人たちは、俺たちを自分たちの親指の下に置いている。俺たちにはそこから抜け出すことなんてできないのさ!』」私はまだ少年だった頃、実際にこの会話がやり取りされている光景を、アリゾナ州ピマ族インディアン地区にて目撃した。
二人のうちの一人が反論した。「でも、それらはイエス様のみことばではないですか!のちに、必ず起こるはずです!」
「いや、」私は答えた。「イエス様はそんなことは一度も言っていなかった。これは、聖書のイエス様のみことばではないのだよ!」
私は続けた。「きみはあまり根本を理解していないようだね。モルモン教会の中で、一体どのような変更が行われていたかを知るには、きみはまだ若すぎる。あなたの誠実さ、また神様に用いられたいと思う情熱は疑わないよ。しかし、きみはまだ、きみの教会が本当は何を信じているのかということをあまり知らないのではないかい。教理の真相を知るためには、家に帰って、説教集に載っている過去のモルモン説教をもう一度読んでみてはどうだい。モルモン教理そのものは、あの頃とは変わらないのだが、今の教理には多数の変更・修正が加えられている。モルモン教会は自分の教徒たちがそういった過去の文書を開くとは思っていないのさ。モルモン教会は、モルモン教未信者と話す際、会話の中で説教集のようなモルモン書以外のものには触れさせようとしない。というのも、異宗教間での会話の幅を、現在公にされている聖典、すなわちモルモン書のみにと狭めようとしているからだ。」
私は続けた。「しかしながら、彼らの勉強会においては、モルモン教師たちは常に古い文書を参照している。以前、衛星放送でモルモン・チャンネルを見たことがあるのだが、その番組内でも、彼らの教理を説明する際には、常に説教集を参照していた。いや、私はこう気づいたのだ。真の福音はすべて新約聖書に含まれているのだと。ジョセフ・スミスの受けた黙示とやらをすべて道端に捨てても、私は必ず天国へ行けるのだという完全な確信が与えられたのだよ。私の信仰はイエスキリストにあり、彼の教えはすべて新約聖書におさめられ、訳されている。もしイエスキリストが私を救ってくださったのなら、ジョセフ・スミスやモルモン書に対する不信仰なんかには、私の魂をうばうことはできないのだ!」
あなたがたが新たに生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。(第一ペテロの手紙1章23節)
愛する人々。私はあなたがたに、わたしたちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。(ユダの手紙3節)
もうこの頃には、宣教師たちは落ち着きを失い、帰るタイミングを探しているような状態だったので、私は彼らに何でもいいから言いたいことを言うようにと尋ねた。そこで、彼らはジョセフ・スミスとモルモン書を改めて賞賛しようとしたので、私は彼らの賞賛を正した。
「ちがう、ちがう、きみたちが話しているイエス様って言うのは、聖書のイエス様とはちがうのだよ、申し訳ないが。きみたちが教えていることは、新約聖書第二コリント人への手紙11章に書かれていること、まさにそれだよ。」
4.というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣ベ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。
13.こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
最後に、私たちはともに祈った。私の導きの中で、彼らがイエスキリストの真の福音に目覚め、真の救いを得ることができるようにと祈った。今回、私がこの二人の若者と過ごした時間について書き記しておきたかった理由は、私のすべてのモルモン教、またキリスト教を信じる友人たちの益になりたいと思ったからである。そして、私の心からの願いは、これを読まれる方すべてを、神様が祝福されるということに尽きる。
私とコンタクトを取ってみたいという方、どうぞこちらまで。(918)495-6772
(もし、この件に関してさらに探求したい方がいらっしゃれば、オンラインでご覧いただける”DNA vs. the Book of Mormon” www.mormonchallenge.comにて、モルモン書が説くアメリカンインディアン・イスラエル人説がDNA鑑定上まったく事実無根であることに関する記述をご覧いただけます。) [1] ヘブル人への手紙11章3節「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」創世記1章には、聖書が繰り返し語る創世記のことが記されている。「そのとき、神が「光、天、かわいた所、地、植物、木、光る物、生き物よ、あれ。」と仰せられた。」など。
[2] R. C. Evans, Forty Years in the Mormon Church—Why I Left It (1920, rpt., Independence, MO: Ex-RLDS for Jesus, n.d.), 32.
[3] モルモン教会の公的立場; Journal of Discourses(日本語タイトルでは、説教集), vol. 8, page 115, 211.
[4] 『使途の働き』記されている使徒の中には、アガボ(11:27-28,21:10-11)や伝道者ピリポの娘たち(21:8-9)も含まれている。 [5] ヨハネによる福音書1:18;4:24;コロサイ人への手紙1:15;第一テモテへの手紙1:17 [6] 出エジプト記33:18-23 [7] Tanner, Jerald & Sandra, 3,913 Changes in the Book of Mormon, Utah Lighthouse Ministry: Salt Lake City, 1965. [8] モルモン書 ニーファイ第一書12:23;ニーファイ第三書2:15-16;ヤコブ書3:5-8 [9] Improvement Era, 1960, p. 922-23. [10] Salt Lake Tribune, September 30, 1981. [11] Journal of Discourses(日本語タイトルでは、説教集), Vol. 2, p. 143; Vol. 7, p 290-291; Vol. 11, p. 272. |
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